はじまり

道路の舗装や洋服が一般化し
下駄を履く文化は急激に失われました。
このまま無くなってしまうのは悲しい、海外からの旅行者が日本に来て日本の文化に触れられないのは寂しいとの想いで、14年間働いた金属加工業を退社した…というと格好いいですが、実際のところは、天狗下駄を履いて歩くことが楽しくて、多くの人にこの楽しさを伝えたい。これに尽きると思います。

天狗下駄との出会い

初めて天狗下駄を履いたのは、水木しげるロードの下駄屋さんのお試し下駄でした。
その時は周りから『そんなもの買っても使いようが無い』と言われ自分もそうだろうなと思い、その時は手にする事はありませんでした。

天狗下駄との再会、購入

数年後、仕事でうまくいかず人間関係に疲れてきた時に、キャラクターに扮するコスプレに興味をもち、天狗になってみたいと思った勢いで市販品を購入したのが天狗下駄を履き始める切っ掛けでした。市販品の下駄はとても履きづらく、転倒しながら履き続けたら1ヶ月も保たず歯がすり減って無くなってしまいました。

自作下駄の考案

すり減った歯を交換して貰おうと下駄屋さんに伺った事があるのですが、出来ないときっぱり断られ、そりゃそうかと思い自力で解決しようと材木屋さんで材料を購入して差し換えたりしましたが、結局すり減るのは解決せず、転倒も繰り返した事で
『これは設計に問題があるのでは?』と疑うようになりました。そこで、もっとこうした方がいいだろうと考えた結果を図面にして木工家さんに見積もりを依頼した所、凄まじい金額を掲示されたのを今も覚えています😅

木工家を志す

はじめに半年間通ったのが大阪市立クラフトパークの木工教室。ここでまず木工が自分の肌に合う事を確認した後、奈良県立高等技術専門校の家具工芸科で一年間木工を基礎から学び、卒業後すぐに奈良県吉野郡大淀町にて工房を構えました。

安全で新しい物を

誰も思いつかないようなもの…
それだけでは駄目で
デザインと安全と楽しさ全てを実現出来るのが理想だと思っています。
初めて作ったデザインはまず自分の足で履いてみて
問題点を洗い出してから製品化するようにしています。